「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかなあ」
「バカヤロー、まだ始まっちゃいねえよ」
「ヨシノリ、絶対に観て。お願いだから観て。来週まで新宿でやってるから!」
当時、中学の同級生の友達が北野組で照明のクルーをやっておりました。
(その後、河瀬直美監督の「萌の朱雀」で照明チーフだったんだよな〜。)
その子から何度も電話をもらったのを、今でも良く覚えています。
なぜ、私にこの映画を執拗に観るように彼女が勧めたのか、いまでは知る由もありません。
ただ、あの時にこの映画を観た事は、とても意義のある事でした。
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夢
それはある意味残酷なものでもあります。
夢を見るのは、人生で何度でもあります。
その度に現実と超えられない限界に向き合い、
傷つき、涙を流し、
そしてそれでも夢を見ようとする。
それが若さなのかもしれません。
このブログの冒頭のセリフ、
再生への希望のセリフでは無いと思います。
そうでも言わないとやってられないんです。
ギリギリ、踏みとどまるための「自己暗示」でしかない。
学校という社会に馴染めなかったものにしかわからないでしょう。
なぜ、彼らが校庭で自転車を漕いで、あのセリフを吐いたのか。
北野監督は「折れてしまった者たち」を、非情に描写したんでしょうか?
観ている多数の物たちに対して、
「どうせこいつらのこと、わからねえだろ」
そう描きたかったのかもしれません。
もう一度、観ようかな。
もちろん一人で。
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