もうそのラーメンは食べれない。【私にとって想い出の、そして最高のラーメン屋さん】

その他

今日のお昼、娘と二人で近所に出来たラーメン屋さんに行ってきました。

お店も清潔。メニューも写真で丁寧に掲示されていました。
元気の良い女性スタッフ2人で頑張って切り盛りされてました。

背脂がウリのちぢれ太麺、とっても美味しかったです。
でも後からガツンとおっさんの私の胃にはちょっと負荷が・・・・

やっぱり私には古いスタイルのシンプルなラーメンがいいのかもしれません(笑)

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今から20年程前、新浦安駅前ダイエーの向かいに有る団地の前に、そのラーメンの屋台は週に2、3日お店を開いておりました。

ちっちゃな、そしてちっとくたびれた軽トラックを改造した屋台のラーメン屋さんでした。
看板は「ラーメン」とだけ書かれた赤い提灯。
とって付けたような木製の板の簡易テーブルに5人くらいしか座れない。

荷台を改造した作業場には大きなアルミの鍋が2つ。
ひとつは麺を茹でる為の鍋。
もうひとつはスープが入った鍋。
麺つゆに似た、薄く茶色いスープの中にいつもリンゴがひとつ、ゆったりと浮かんでおりました。

いつもBGMはAMラジオのNHK。
そして「中畑清」のサイン色紙(笑)

見た目は多分70歳代の白髪の、ちょっとぽっちゃりした店主のおじいさんが、手際良く、そしてゆったりと流れるように皆にラーメンを出しておりました。

そのラーメンはさっぱりした醤油味。
そしてちょっと優しくなるようなフルーティーな味。

それ以外は何か特筆するようなことはありませんでした。

でもそのラーメンは、とっても「優しい一杯」でした。
なんだか「お疲れさん」って言葉が入っているように感じる一杯でした。
シンプルに言えば、「心に沁みる一杯」かな。

自分がやっていたお店は息子さんに譲って、自分は気ままにこうやってラーメン作ってるんだ、みたいなことをお話しされていたような気がします。

当時の私は仕事もヘヴィ、音楽活動もヘヴィな毎日で、見栄張って、無理して生きていました。そんな中、その屋台のラーメンは私にとって大切な、本当に大切な一杯でした。

そしてふと、いつの日からか、そのおじいさんの屋台が私の街に来る事は無くなりました。

屋号も出していなかったそのラーメン屋台がその後どうなったのか、全く分かりません。

でもあのラーメンよりおいしいラーメンには未だ出会っておりません。
想い出というスパイスがそうさせている可能性も否めませんが(笑)

でも、それでもいいと思います。
そうやって大切な記憶として持っていたいと思います。

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最近はとってもお手頃な価格で食べられるラーメンチェーン店が多数あります。

実は私、あのクラシックなラーメンチェーン店の味が苦手なんです。
ちなみに嫌いではないです。むしろ傾向として好きな方です。
でも、口ではうまく表現出来ないんですよね。

ビジネスは多様化しています。
ラーメン文化も20年前とは様変わりしております。

同じような筆文字。同じような店構え。
そして同じような物を求める消費者。

コピー+ペーストで世の中の半分以上は形成されてしまった感があるのは私だけでしょうか?

人との繋がりより、みんなと同じ定番のフォーマットに安心感を抱く社会に、一抹の不安を感じます。

でも私は今日も「ひとのあたたかさ、ちから」を信じて様々な音楽を皆さんにご提供していこうと、一杯のラーメンから感じてしまいました。

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